石井淳アトリエ 建築設計事務所 神奈川県相模原市 建築設計事務所 相模原市


 □  2013年 神社詣で

2013-01-14(月)

山王神社1山王神社2
一番近くにあるの神社が写真の山王(やまね)神社だ。
1307年、大将軍久明親王執権北條貞時が淵野辺伊賀守義博に人食い大蛇を退治させ、山王大権現を祈願したとある。鎌倉時代後期の話なのだ。

だがどうも質素な神社であって、まぁ、こういっては何だが、まぁ、質素すぎるというか、まぁ、どうも、少々、ミスボラシイのだ。
そしてここに来るといつも、まぁ、こういっては何だが、まぁ、浅田次郎の小説「憑神」を思い出してしまう。

「憑神」  時は幕末、なんとなく川っぷちにある小さな祠にお参りしてしまったが故、貧乏神がくっついてしまい、次には疫病神がくっついてしまい、最後には死神がくっついてしまうというお話だが、抱腹絶倒、最後は感動でじ~んと涙ぐんだ、のかどうか例の白鷺今となっては実にサダカではない。のだが、お参りからナントナクの不安、恵比寿様の風体をした貧乏神の出現に心躍らせ、人のいい神様たちだよなと自分の境遇に重ね合わせながら読んだ記憶がある。 その後映画化もされている。


僕のその後は、おもむろに境川にいる例の白鷺なぞに声をかけながら、近くにある次の神社にオモムクのが恒例だ。
残念なことに小説「憑神」の中ではそういう 「次の神社で」 作戦はすでに効力がなかったような気もする。



アプローチ
次の神社、箭幹(やがら)八幡宮は616年、京都の石清水八幡宮を勧請して
建立された、さらに由緒古き神社らしいのですね。
1062年奥州を平定して鎌倉に戻る途中の源義家が病で悪鬼に責められる夢に苦しみ、八幡宮に祈願したところ夢に白髪の老人が現れて弓矢をもって悪鬼を追い払い病が快復したという。源義家は感謝して本社、末社を再興し、八幡宮を箭幹八幡宮と名付けた。 「矢部」という地名の由来もこれにある。
鳥居よりの参道も木々に包まれている。



随身門




参道をさらに進むと随身門という文化財指定の
中門まであるのだ。(写真右上)
そして本殿は柱にまで彫刻が施された、
実にリッチな神社なわけであります。



中門より本殿を見る写真右下は中門より本殿を見たものだ。
神社というものは実にその中心には触れないほうがよいもので、思いを馳せて遠くから眺めるのでよいのだと思う。


ところで僕には邪心なく世界平和を祈るだけなのだが、
それでもなぜかいつもこうしてふたつの神社に
詣でてしまうクセがついてしまった。
どうか、お話は小説の中だけの世界でありますように。

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